In you


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2012年10月15日 - Matz

最近Twitterで私に絡んできた人がいました。「Perlがあるのに、なんでRubyを作ったんだ」と言うんですね(笑)。PerlがあるのにRubyを作るなんて、重複だし、車輪の再発明だし、何より有限の労力の無駄遣いだというんですよ。だからRubyなんか存在しなかったほうが良かったのに、お前はなんてことをしてくれたんだ、と。多くのIT系の人たちはRubyのことをネガティブに思ってるよ、と胸を張って言われてですね……。
(中略)
でもですよ、考えてみたら、われわれにとって最も大切なリソースはマンパワーではなくて、モチベーションだと思うんですね。モチベーションは誰かに制御されるようなものじゃない。世の中に新しいプログラミング言語を作ってみたいという人がいたとして、そういう人に「お前は新しいプログラミング言語を作るより、Rubyに貢献したほうが労力の無駄にならないよ」といって、プログラミング言語を作り出す夢を諦めさせたら、どうでしょう。それでリソースの無駄遣いは防げたかもしれないけど、われわれは大切なものを失っているのではないか、と思うわけですよ。

われわれは機械ではないので、やりたいと思うときに、何かを達成できるんです。
何かを達成するには、突き動かす内なる力が必要です。それはモチベーションによって現れるんですね。




2012年10月11日 - @oronine

だうやら臓の調子が好くないやうだ。余りに喰ひ過ぎたのだらう。ぎゅる〻と蟲が鳴き、兢々と臓を蝕まんとするのだ。未だ便所に居るのか、と姐があざ嗤ふのだが、さう云ふのも今の内だと何故に氣附かぬ。先刻、私と同じ物を臓一杯喰ふただらうに、と聲には出さず、尻の窩を窄めて北叟笑むのである。



2012年10月11日 - モオツァルト

大切なのは目的地ではない、現に歩いているその歩き方である。モオツァルトは、歩き方の達人であった。現代の芸術家には、ほとんど信じられないくらいの達人であった。これは、彼の天賦と結んだ深刻な音楽的教養の贈り物だったのであるが、彼の教養とは、また現代人にははなはだ理解しがたい意味を持っていた。それは、ほとんど筋肉の訓練と同じような精神上の訓練に他ならなかった。ある他人の音楽的手法を理解するとは、その手法を、実際の制作の上で模倣してみるという一行為を意味した。彼は、当代のあらゆる音楽的手法を知り尽くした、とは言わぬ。手紙の中で言っているように今はもうどんな音楽でも真似できると豪語する。彼は、作曲上でも訓練と模倣を教養の根幹とする演奏家であったといえる。独創家たらんとする空虚で完成に満ちた企図などに、彼は悩まされたことはなかった。模倣は独創の母である。唯一の本当の母である。二人を引き離してしまったのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗るほかはあるまい。してみれば、僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身のかけがえのない歌を模倣するに至る。これは、日常社会のあらゆる日常行為の、何の変哲もない原則である。だが、今日の芸術の世界では、こういう言葉も逆説めいて聞こえるほど、独創という観念を化け物じみたものにしてしまった。




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