年月日 |
出来事 |
補足 |
2011年10月23日 |
ユニオンBrotherOfSteelが設立される |
名前の由来は当時ハマっていたFPSゲームFalloutから。他の名前候補にはHeartsOfIron(歴史シミュレーションゲーム)があった。どちらも知らなかったら美食倶楽部になっていたかもしれないらしい。設立動機は「なんかユニオン立てると家が借りれるらしいから立てておこう」まだ実装されていない。設立当初のメンバーは現在一人しか残っておらず語られないまま多くの事が闇に葬り去られそう |
2011年11月 |
斧ステップ最強だしwwwといいつつ某ユニオンにカチコミにいった人がいた。 |
魔王にも勝ちました |
2011年11月 |
第一次集中募集が開始される |
メンバー募集は現在に至るまで常に続けているが当時はPT募集欄にのせる等積極的にメンバー募集を行っていた。この募集で戦士が大量に入隊した他、2012、13年度の副マスター、上位権限メンバーが入りユニオンの中核が形成された |
2011年11月 |
messer氏、サブにマスター権を奪われる |
戦士二名を並行して育成しておこうという計画の元作成されたTangulan氏がBP58を叩きだしてしまいBP12の初代ユニオンマスター:messer氏をその座からひきずり降ろしマスターになる。以来1年以上Tangulan体制が続くが思わぬ所からの逆襲を受ける。それはまだ先の話であるが |
2011年12月 |
斧ステップ最強だし等の明言を残した某氏が消息不明。実質引退する |
彼が歴史年表に記載する程の特筆すべき事例はBP50以上、ユニオンマスターよりも強くなる、バッジスを突然大人買いする。等の現在まで語り継がれる死亡フラグの代名詞たる三大事例を同時にやってのけ引退したことだろう。以来ユニオンのジンクスとしてこの三つの死亡フラグは残り続けることになる。 |
2011年12月 |
戦士至上主義の終焉と第一次スキル調整 |
これにより戦士は従来よりも戦闘力が落ちてしまい単独で何もかもできるという超性能ではなくなった。ゲームバランスはとれていたので非常によかったとは思う。 |
2012年1月 |
第一次やることがねえ暇だ現象始まる |
次のダンジョンがはじまるまでやることがなくて暇だ。という現在まで続くWizonの終わらないテーマでもある。徐々に人口が減っていった。 |
2012年2月 |
第二次集中募集が開始される |
再び集中的なメンバー募集が始まりゲルトガ砲に代表される優秀な人材が多く集まった。 |
2012年3月 |
草刈り拒否症候群が流行する |
当時最先端、非常においしい狩り場であったが微妙に調整が必要で単調な作業という素晴らしい素質をもった草刈り場をもうしたくないがここでしかレべリングができないのでゲーム自体を拒否する患者が多発した。 |
2012年3月 |
ディメントの夜明け |
別名運営の夜明け。度重なるメンテナンス延長で24時間近くメンテし続けた為。このアップデートで発表された内容は段階的に一年以上に渡りちょっとづつ実装される事になる |
2012年4月 |
第一次絆収集作戦 |
ユニオンマントが欲しい!という動機の元SR3キャラクターの拡張等積極的な絆の収集作業が始まる。現金で買おうという動きもあったが流石にそれはやめろと止められたりもした。当時最大人数を誇っていた某ユニオンに対して当ユニオンの人員は少なかったが個々人の努力(5割程一人が占めているが)によって劇的な成長を遂げていく |
2012年4月 |
レアアイテムは箱からしかでないよ現象 |
運営のシーフの地位向上政策の一環でレアアイテム等は箱からしかでなくなってしまった。渋々シーフをいれてトレハンをするPTとレべリング重視で最適な編成を行うPTの二派に分かれる |
2012年4月 |
第一回ユニオン集会が開催される |
発端はあるひとの「うちのユニオンって集まり悪いよね」がきっかけ。第1回は魔法局の会議室で行い今まで行ったことのないイベントにちょっとどきどきしてたりしていた。 |
2012年5月 |
第二次絆収集作戦、ゲルトガ砲体制の確立 |
第一次絆収集作戦後も拡張を進めていき絆成長戦略兵器【ゲルトガ砲】が完成する。以後当ユニオンでは絆を貯めこんで決まった日付に一斉発射しレベルアップを図る体制がとられた。 |
2012年6月 |
ヴォージうめえ |
ヴォージ周回がかつての草刈りの如く流行し同じ現象をおこす |
2012年6月 |
ユニオン崩壊の危機 |
マスターがうっかり新人さんにユニオンマスター権を移譲してしまった大事件。24時間体制で新人さんがINするのを待ち返してくださいお願いしますと頼み込んで返してもらう。前代未聞の不祥事である。 |
2012年7月 |
蟲狩り |
暗澹たる円卓が実装され皆が狂ったように虫を狩り始める。 |
2012年8月 |
蟲8ツンツン、トレハンに夢があった時代 |
レベリングには非常に楽な蟲8放置狩りがあり、一発当てれば数億稼げるというトレジャーハントな狩りもできるようになった。4月からのトレジャー運動から始まった一連の動きは完全に経験値重視、トレジャー重視の2PTを分けることになる。 |
2012年9月 |
マスターが羽毛に目覚める |
以後レベル上げから金策にベクトルを変えてすさまじい勢いで資金を増やしていく |
2012年10月 |
サンジェント半分だけかよ事件 |
まさかの一つのダンジョンを二分割して実装するという事態。睡眠罠に敵をハメて倒す睡眠尻がメイン狩り場のポジションを占めた |
2012年11月 |
サンジェント完全実装、狩りの変化 |
過去のように特定の敵を狩り続ける経験値稼ぎももちろんあるがミッション報酬二倍を消化していく狩り方法が後半実装からはやり始めた。運営の思惑通り昔よりは様々なモンスターが万遍なく狩られるようになったのでマスター品のドロップに偏りがなくなった。 |
2012年11月 |
ユニオンレベル6になる |
ここに至りついにシュナトサーバーで最初のレベル6ユニオンになった。その後1週間後に某ユニオンもレベル6になったがあちらとちがいこちらは少数の個人の努力と根性による人力作業でレベル6になるという力技であった(SR3部隊は徐々に増えていっている。)レベル7になるときこそ大きな差をつけたい、その当時はそう思っていた。 |
2012年12月 |
年末年始のバグ暴露事件 |
合成ジェムを利用した荒稼ぎが発見されその後にトレードのバグを利用してさらに荒稼ぎして物議をかもした。当ユニオンでも検証を行った2プレイヤーが運営からの厳重注意をうけごめんなさいする事態に。暴露から修正までの運営の対応速度は非常に早く頑張ってるのをちょっとみせた(そんなバグおこさなければそれが一番いいけどね。) |
2013年1月 |
複数要因による若者のWizon離れ |
年末年始のバグ事件で嫌になった。サンジェントラストまで攻略して春までアップデートがないので休止しよう。特にやることがないので別のゲームをやろう、知り合いが減ったので自分もやめよう。などの複数要因から引退者が続出していった。ユニオンでも明らかな人口減少がみられ対応を考え始める |
2013年1月 |
粛清の嵐と第三次集中募集 |
人口減少から募集計画を立てようとした際、数か月不在のメンバーが多数おり思うように人員募集できない事がわかる。30人に及ぶ大量除名を慣行し第三次集中募集を始めるのであった・・・ |
2013年1月 |
messer氏、ユニオンマスターの座に返り咲く |
1年と2カ月続いたTangulan体制であったが中の人が羽毛に目覚めて以来強くなることよりも金策、トレハンを重視するようになったため戦闘用のTangulanを使わなくなり打ち捨てられていたmesserをトレハン戦士に改造、メインキャラとして使用するようになりユニオンマスター復帰が叶ったのである。 |
2013年2月 |
ユニオンレベル7になれなかった |
まさかの未実装である。公式HPには未実装とは書いておらず、実装したとも書いてはいなかったがレベル7までの経験値を貯められるならレベル7になれるだろうと頑張った結果がこれである。さらに人によって経験値が4499点、と4500点の二種類に見える、絆の証を納入したら追加されずに異次元に消え去るなど運営がまだここまで来るのを想定していなかったんじゃないか?というふうにも見える。岩原氏にツィッターした際の返答。「頑張っているのが伝わりました!運営に報告します!」 |
2013年2月 |
シュナトは二度死ぬ |
23:45から24:15までにおきた事件一度目のサバ落ち後10分程で復帰したがわずか数分後再びサバ落ちするという前代未聞の事態が起きた。サーバー管理どうなってんだ・・・ |
2013年2月 |
FeatherFund設立 |
羽毛を掘り、アッザームを走り続けてきたマスターがとうとう羽毛基金なる別ユニオンを立ち上げてしまった。 |
2013年3月 |
館ブーム到来 |
愛欲と淫虐の館がサンジェント以上にうまく、SR13装備もでることもあり新ダンジョンとしてしっかりにぎわい始めた。黄龍をクリアすれば侵入可能なため初心者のパワーレベリング場としても期待できる。 |
2013年3月 |
マスター、ブログにはまる |
ブログからユニメンを獲得しようという迂遠な計画であったが思いのほか記事更新が楽しいらしくユニオンHPの更新が滞り管理人を募集し始めるほどはまってしまった。いつブームが終わるかはまだわからない |
2013年4月 |
マスター半年ぶりに宿屋で寝る |
ドロップのレベル制限が撤廃されたことによりレベルをキープする必要がなくなったため、去年の12月から約半年ぶりに宿屋でマスターが寝た。10レベル上がったらしい。 |
2013年5月 |
副リーダー交代、第二期体制に移行 |
ほぼ設立当初から副リーダーを務めていた二名が今年に入り行方不明、5ヵ月間の猶予期間をもった上での交代である。任命者二名は現状最古参の二名。仕事らしい仕事がないので飾りの空気もあるがそうでない時もある。尚、任命は立候補ではなく強制指名だったりする。 |
2013年5月 |
マスター、少し本気出す |
ドロップレベル制限撤廃ショックにより狩りをしだしたマスターだが8か月ぶりに本体が動き出す。しかし羽毛もやっているので100%の狩りOちというわけでもなく、往事程の勢いはない。 |
2013年6月 |
特務ショック |
新ダンジョンロットハーディーの廃墟があまりにも不人気だった為に運営が入れたテコが入りすぎてジェムと羽毛石が大暴落を起こす。その下落率は400万の品物が200万に下がるというレベルであり、世界大恐慌の13%下落がかわいく見えるレベルだった。去年の9月からメインの金策にしていたマスター、マスターから羽毛を購入している大多数の人間にハードヒットし、この時期に引退者が続出した現象。運営のテコ入れ一つで市場に多大な影響を及ぼす行為は既存プレイヤーの今までの努力を無為にしかねないのでそこら辺が原因だと個人的に思う。自分も一気にやる気なくなったしね |
2013年6月 |
ユニオンレベル8になる |
ついにユニオンレベル上限が解除され7になり、その勢いで今まで納入できなかった絆を突っ込んだらあっというまに8になってしまった。シュナトで最速だー!とマスターがはしゃぐ |
2013年9月 |
マスター旅立つ(入院的な意味で) |
飲んだ帰りに撥ねられ、ここから一か月程意識だけ未来に旅立った。この間に過疎化が進行し翌月、前代未聞(でもないか)の事態が起こる |
2013年9月 |
ユニオン初のNIN誕生 |
しかし、そのポテンシャルが不明な事もあり、誰もそのことを喜ぶことはなかった |
2013年10月 |
1ヶ月ルールによる下剋上発生 |
マスター不在1ヶ月経過の10月4日、ルールにより副マスターがマスターに昇格し、9か月続いたmesser体制は再び終わりを迎える。しかし、やむをえない交代だった事も復帰後messerの返り咲き活動が始まる |
2013年10月 |
マスター復帰する |
5週間に渡る入院生活からやっとマスターが戻ってくる。しかし自分はもうすでにマスターではなく、人も減り、迅速な復旧を始める事になるのだった |
2013年10月 |
粛清の嵐と第四次募集 |
残ったサブマスター、他のメンバーと相談し9カ月ぶりの30名除名を慣行、続いて公式HPの募集を新たに設置し募集を再開しだす。 |
2013年10月 |
グレーターデーモン事件 |
10/14Wizon2周年イベント。記念撮影でぞろぞろと人が集まりだし3chが異常に重くなる。その後グレーターデーモンが町に表れるがサーバーが負荷に耐えきれずログインゲーが始まる。デーモンをみれなかった、見れても茜に殺されて戦えなかったなど悲惨なプレイヤーが多発。ユニオンメンバーはスラムに向かったが茜の魔法で戦闘にもならない状況に萎える。ぐだぐだのままイベントが終わり3chに帰ろうとするが負荷に耐えきれなくなった3chが立ち入り禁止になり帰れない、散々なイベントだった。 |
2013年10月 |
23日ユニオン設立2周年 |
なのだが誰も特になにも言わず平常運転で一日が終わっていた。行事に疎い連中の集まりなので仕方ないね。去年もなにもしてなかったっぽい。来年は何かあるかもね! |
2013年10月 |
マスター、リーダーに復帰する |
特に揉め事も起きず平和にリーダー移譲が完了する。いろいろ前代未聞だった |
2013年12月 |
揺らぎショック、狩りの変化 |
新ダンジョンの昏き揺らぎの地が恐ろしい難易度でドロップアウトボーイ/ガールが大量続出した。課金保護専用エリア、クリア後専用エリア等。課金者、クリア者を優遇するダンジョンでもあり今までのように次ダンジョンがでるまでクリア放置するよりも頑張ってクリアした方がいいのは評価できるが難易度やばい |
2014年1月 |
BIS60、L50が出現する |
ほこ×たて ってかんじ(不正はない) |
2014年1月 |
弓矢が実装される |
良いおもちゃです。出た当初は射程短い、チャージ長いとおもちゃ扱いだった。ヘッドショット楽しい |