魂を尽くさず夜は明けない


’’どこに行くの?’’

その一言で僕は目を覚ました。
時計に目をやると時刻は午前8時。昨晩の記憶が不明瞭だが目覚ましがなっていないところから察するにいつの間にか寝てしまったのだろう。
都内の高校に通う僕はゆっくり身支度を始める。今日は何か特別な日だったかなと希望を込めてカレンダーをチェックするが、当然何の変哲もないただの火曜日だった。
「行ってきまーす」
既に誰もいない部屋に向かって声をかける。

学校に着くと教室では授業が始まっていた。教師に一瞥もくれず自分の席につく。鞄から筆箱を取り出し、板書をとろうと筆箱の中を漁ると、見覚えの無い金属部品、見たところボールペンのペン先部分だろうか。加えて、インク軸の入ってないペンや、見たことのないペンのキャップなんかがいくつか出てきた。
不思議に思ったが誰かのいたずらだろう、僕は授業に集中することにした。

特筆することも無く授業は終わり、休み時間になる。
「おはよう。遅刻だよ?」
友人が言う。
言われなくてもわかってるよ、答えようとした時に既視感いわゆるデジャヴュというやつを感じた。

しこりのような妙な感覚を残しながら放課後になり、僕は家に帰った。
「この違和感はなんだ・・・?妙に記憶もぼんやりしているし・・・」
PCを立ち上げるとskypeに一件の通知が入った。
<本日動画提出の期限となっておりますが、撮れましたか?>
送り主に見覚えもないし、動画提出と言われて思い当たる節がない。
妙な恐怖を覚え返事をするのを躊躇った。胸が圧迫されるように苦しい。宿題を家に忘れた時の苦しさと似ている。

少し落ち着こうとベッドで横になろうとした時、見覚えのない妙に長いペンが目に入った。
何かおかしい。ここ最近友人を家に招いた覚えはないから忘れ物でもないだろうし、このペンは書く事もできなさそうだ。
「友人を家に招いた覚えはない・・・?」
違う、記憶がないのだ。ぼんやりあると思っていた記憶は思い出そうとしても輪郭すら浮かばない。

途端に恐怖が身を包む。
この家の住所もそもそも家に家族がいたかも思い出せない。僕は何者だ。
頼れるのは今朝話しかけてくれた友人だけと思い携帯のアドレス帳を開くがそもそも名前が思い出せない事に気付く。
頭が混乱している。混乱しているが、混乱しているという事実を冷静に受け止めている自分がいる。

ピコン
通知音でPCに目をやると、先ほどとは別の人物からskypeでメッセージが送られていた。
<動画提出本日までとなっていますがどうですか?>
またか。どうなってるんだ。

と、ここで少し閃く。
「そうか、PCの履歴を見てみれば・・・」
ブラウザを開き、履歴のページを見る。
動画サイト、動画サイト、動画サイト、JEBO、・・・
「JEBO?」
そこには見慣れないページの名前が載っていた。
救いを求めるようにそのページを開く。<JapEn Board Official>という表示がPCの画面を染める。
「ペン回し・・・?」
ページには幾度となくペン回しというワードが表示されている。
ペン回し動画-募集というリンクをクリックする。上から10程のトピックの最新記事は全て同じ名前で埋め尽くされている。
ペン回し動画-公開というリンクをクリックする。トピックを開くと、動画サイトへのリンクが貼られていたので再生してみる。

愉快な音楽とペンを回すという異様な光景が怪しげなマッチングを見せる動画が流れる。
人並み外れたペンの操り方や音楽との絶妙な相乗効果は見ていて純粋に面白いものだった。

しかし動画が終盤に差し掛かろうかというタイミングで見覚えのある机そしてペンが映る。
「これは・・・この家か・・・?」
名前の表示を見ると動画募集板を埋め尽くしていた名前。どこか馴染みのある文字列があった。
「このペンが・・・?」
と初めてペンを持つ。
頭に鈍い痛みを伴った衝撃が走る。次の瞬間意識がハッキリする。
今自分が何をしなければいけないのか。
答えは一つ。動画を撮るんだ。参加希望した責任を果たさなければならない。
自分が何者なのかようやく理解した。これは僕の動画だ。この名前は僕の名前だ。このペンは僕のものであり僕はこのペンを回していた。
動画募集板のページを開き、自分がいくつ動画を撮らなければならないのかを確認する。計12個の動画を求められているようだ。

完全に感覚を取り戻した今、この数字には笑うしかない。参加希望をした自分を恨みながら小さな声で笑ってみた。
絶対に無理だ。一つの動画を撮るのに数日かける人もザラにいる世界で一日12個の動画を撮るなんて馬鹿げている。
動画を見ている内にも催促のメッセージがいくつか来ていたようだ。どれも返事はしていないが。

ダメだ、逃げ場がない。
記憶を取り戻してから5時間。僕は動画を撮ってみてはいるが、妥協しても3個の動画しか撮れていない。
時計は午後10時を指す。
正直頭がおかしくなりそうだ。趣味のはずのペン回しに今や魂を支配されてしまっている。
どうしようもなく笑みがこぼれる。段々おかしくなっている自分がわかる。

ところで、先ほどから少しずつ頭の片隅を侵食してきている悪魔の提案がある。これまでどうにか目線を逸らして自分を騙し続けていたが、ここまで大きくなってしまうと認知せざるを得ない。
  •  そうだ、寝ていたことにして全部ばっくれてしまおう。-
僕は今までこういう人間を否定し続けてきた。人として有り得ないと断言してきた。いや、今だって本当は逃げたりはしたくない。
でも、どうしようもない。こんなはずじゃなかった。思いつくのは言い訳だけだ。パンクしそうな頭を抱え一人で涙目になる。今まで積み上げてきたもの、プライド、ペン回し界という狭い世界だが、世間の目までも気になってしまう。嫌だ。動画を撮るべきなんだ。

だが、もうダメだ。最低最悪の悪魔の提案をもう無視できなくなっていた。
「たかがペン回し、それもインターネット上のことだ。俺を攻めるやつなんて、いないさ。」
「俺は悪くない。攻めるほうがおかしい。俺は悪くない・・・。」

PCの電源を落としてベッドに入る。Skypeのオンライン通知をオフにしていなかったからまた別の言い訳が必要になるかもな、などと思いながら目を閉じた。
少しばかりの良心も、もう何も言わない。僕はわかっているから、言わせない。
明日が来てしまえばもうおしまいだ。僕は悪者になるのか?
でもこの苦しみから逃れられるならそれも構わない。いや、僕は悪者じゃない。僕は悪くない。
言い訳を並べ、自分を正当化しつつ僕は深いまどろみの世界に逃げ込んだ。
意識を失うか失わないかの瀬戸際、どこからか声が聞こえた。

‘’どこに行くの?’’

目覚ましはセットしていない。
最終更新:2013年11月18日 03:13