戦後期(1945~1954)
占領軍による民主化、立て直し期
GHQにより戦争によって疲弊した国家の復興、民主化の推進、軍関係者の排除が行われる
東久邇稔彦(1945.8~10)
終戦直後の暫定政権。
ポツダム宣言の調印。武装解除、治安維持法、特高警察の廃止。
幣原喜重郎(1945.10~1946.5)
親米派、戦前にも国際秩序に基づく幣原外交で活躍
労働組合法、第一次農業改革、財閥解体、女性参政権
吉田茂(第一次 1946.5~1947.5)
日本自由党。すぐれたリーダーシップで戦後の復興に貢献、有能な政治家を輩出。総理大臣を5回経験
日本国憲法を施行労働関係調整表、労働基準法、第二次農業改革、独占禁止法、教育基本法
片山哲(1947.5~1948.3)
日本社会党
失業保険の創設、国家公務員法、過度経済集中排除法
芦田均(1948.3~1948.10)
民主党、様々な法案を施行するも昭和電工事件により総辞職
政令201号
国際社会への復帰、戦後復興、逆コース
朝鮮戦争の影響によりアメリカの意向で反共、再軍備の機運が高まる。国家として独立を果たす。
吉田茂(1948~1954)
民主自由党→自由党
経済安定9カ条指令(第二次) ドッジライン実施、単一為替ルート設定、シャウプ勧告、警察予備隊、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約調印、(第三次)
防衛庁、自衛隊発足(第五次)
高度経済成長期(1955~1973)
55年体制、自主的外交方針
自由民主党による保守一党優位の政治体制が始まる。社会主義国との関係構築にも取り組む。
鳩山一郎(1954.12~1956.12)
日本民主党総裁、公職追放の身でありながら復活後日本民主党を立ち上げる。
GATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟(第二次) 日ソ共同宣言、国際連盟加盟(第三次)
石橋湛山(1956.12~1957.2)
自民党、鳩山一郎の後を継ぐも病気のため3ヶ月で辞職、立正大学学長
経済大国の仲間入り、日米安保
大規模な経済発展により先進国の仲間入りを果たすが、公害、核家族といった問題も抱える。
冷戦の激化に伴い日米関係が重要になる。安保反対運動や左翼の過激化もこの時期
岸信介(1957.2~1960)
自民党。戦前に満州に渡り人脈を作る。A級戦犯として公職追放の身に。
道徳教育の導入、新日米安全保障条約、年金制度
池田隼人(1960~1964)
自民党。「寛容と忍耐」をスローガンに経済発展を推進、。
所得倍増計画、農業基本法、
IMFに移行、OECD(経済発展協力機構)に加盟
佐藤栄作(1964~1972)
自民党。岸信介の弟。領土の返還や公害対策にも力を入れる。「持たない、作らない、持ち込まない」の非核三原則でノーベル平和賞受賞
日韓基本条約、公害対策基本法、小笠原諸島返還協定、新安保条約自動延長、環境庁設置、沖縄返還
経済成長の終焉
経済発展の場を都市から地方へ。一方でインフレ、ドルの変動為替制に伴う円高、石油不足等で経済成長が衰えていく。
田中角栄(1972~1974)
自民党。国と地方の格差を減らすために大規模なインフラを行う。コンピューター付きブルドーザーとも呼ばれた
日本列島改造論、日中共同声明、国土庁設置
安定成長期(1974~1986)
三木武夫 (1974~1976)
自民党三木派、革新保守路線。金権政治脱却目指す。
選挙改革(政治資金規正法改正、公職選挙法改正、自民総裁公選規定改正着手)、独禁法改正着手、赤字国債発行特例法、日米司法共助協定、ロッキード疑獄と党内分裂により衆院選大敗北
55年体制からの移行期
自民党が安定過半数を失う
福田赳夫(1976~1978)
自民党岸派。社会主義勢力との協調と連帯、野党との議席拮抗により予算案など譲歩。岸派継承のタカ派的行動も。
独禁法改正、自民総裁公選規定改正、日中平和友好条約、元号法制化閣議決定、有事立法研究指示。
大平正芳
自民党大平派。池田派後継の戦後型統治派だが、国債発行残高穴埋めのための消費税導入提起。
信頼と合意の政治、和の政治、文化重視の時代を掲げる。ただし殆ど実現を見なかった。
鈴木善幸
自民党大平派。元社会党。大平政治・和の政治を継承するも、増税なき財政再建と行政改革を目標とする。参議院選挙改革も行う。
行政の合理化民営化による「小さな政府」を目指す新保守主義的政策の端緒となるが、第二次石油危機の補填のこともあり実現せず。
参議院選挙での拘束名簿式比例代表制導入。
日米関係の強化、新保守主義路線の明確化
中曽根康弘
自民党中曽根派、田中派支持。鈴木政治の増税なき財政再建を継承するも、不可能だとし、間接税導入を検討し始める。当初タカ派的発言が目立つも後退。
日本独自の福祉国家(活力ある福祉国家と積極的国際貢献)を掲げる。86年体制の成立を豪語。新保守主義的路線の具体化
三公社民営化(電電公社、専売公社、国鉄)、規制緩和、教育改革(「たくましい文化と福祉の国」建設の礎として)、総務庁設立、衆議院定数是正、間接税導入(売上税)失敗
予算概算要求でのマイナスシーリング導入。
バブル経済期(1987~1990)
竹下登
自民党竹下派。税制改革中心。消費税の導入を行う。リクルート事件の影響を受け退陣。
税制改革6法(消費税など)成立。ふるさと創生事業。
宇野宗佑
自民党中曽根派。政治改革中心の「改革前進内閣」を掲げるも、女性スキャンダルに悩まされる。参議院選での自民大敗北により辞任。短命に終わる。
海部俊樹
自民党河本派。新保守主義的路線による政治改革中心だが、証券スキャンダルの影響で実現せず宮沢政権に引き継がれる。
野党の影響により消費税の見直しも行う。また途中湾岸危機・湾岸戦争により日本の国際貢献について問われることとなる。
政治改革関連法案(衆議院選挙での小選挙区制or小選挙区比例代表並立制導入、政治献金原則禁止、政党への公的助成制度)失敗、国連平和協力法案(失敗)、PKO法案
失われた10年期(1991~2000年代)
バブル崩壊による景気の悪化、東西冷戦の終結
宮沢喜一(1991~1993)
自民党。自衛隊のカンボジア派遣。不況脱却できず佐川急便事件も相まって政治不信が高まる
公的資金による不良債権の処理(頓挫)、PKO協力法案
55年体制の崩壊様々な党が連立し政権を得る。38年続いた自民党一党時代の終わり
細川護煕(1993~1994)
日本新党。非自民、非共産からなる8党の連立政権。消費税に代わる国民福祉税を構想するも受け入れられず。
環境基本法、議院に小選挙区比例代表制導入、食糧管理法
羽田孜(1994.4~6)
新政党。少数与党政権で発足するも、内閣不信任決議案により総辞職。公共料金年内値上げを凍結
村山富一(1994.6~1996)
日本社会党。阪神淡路大震災の対応に遅れ支持率を下げる。
「自衛隊合憲、日米安保堅持」発言、破壊活動防止法、税制関連法、戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話(日本の戦争責任、従軍慰安婦等)
再び自民党政権へ 新自由主義への最初の挑戦
橋本龍太郎(1996~1998)
自民党。「日本経済の再建」「長寿社会の建設」「自立的外交」「行政改革」の4つを最重要課題とする.
金融ビッグバン、住宅金融専門会社への公的資金投資、銀行・証券・保険等金融業の規制緩和、金融庁設置、消費税・医療費値上げ、京都議定書
小渕恵三(1998~2000)
自民党。官房長官時代に年号「平成」を発表。「真空宰相」と呼ばれる。沖縄問題に力を入れる。
金融再生法、周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法、労働者派遣法改正、地域振興券、ブッチホン、ゼロ金利政策
森善朗(2000~2001)
自民党。IT革命を謳い外交に尽力。
沖縄サミット、e-japan戦略、IT基本法、
中央省庁の再編
現在(2000年代~)
新自由主義の台頭
小泉純一郎
安倍晋三
福田康夫
麻生太郎
民主党政権
メモ
以下はwiki用語解説の編集にあたって使用した参考文献・資料の一覧です。
最終更新:2018年02月03日 19:53