unemeyosinori1


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003


 怠《なま》け者の節句働《せっくばたら》きという言葉があるが、俺は怠け者のつもりはないけれど、むしろ勤勉をもって自任しているけれど、しかし正月から働くことに抵抗はない。そもそも詐欺師というのは基本的には働き者だというのが、俺の持論である。
 法治《ほうち》国家においては純然たる、言い訳のしようもない犯罪であるだけに、普通、コストパフォーマンスは悪いのだ――追われるわ嫌われるわ、最悪と言っていい。たまに、真面目に働いたほうが儲かるんじゃないのかという疑念にかられることもあるが、しかし真面目に働くのであれば、俺はここまで真面目には働かないだろう。
 組織によって保護された立場で、どうして真面目になれようか――とは言え、正月からいきなり、非通知でかかってきた電話での、さながら出会いがしらの事故のような仕事の依頼をほいほいふたつ返事で引き受けるほど、俺は仕事に不自由しているわけではなかった。
 明日飢えて死ぬわけではないのだ。
 実際、このときも俺は、五つ六つ、同時に並行して詐欺を行っている最中だった――五つ六つというのはやや見栄《みえ》を張ってサバを読んでいるけれど、これはまあ、嘘というほどのこともあるまい。仕事上の数字で嘘をつくくらい、誰でもやっていることだ。
 だから俺は、
「は?」
 と聞き返した。
 は?
 つまり、相手が切り出した仕事の依頼を、否、その前の素性《すじょう》の確認から、聞こえなかった振りをしたのである。
「とぼけないで。貝木でしょう」
 追及してくる高校生に、
「私は鈴木と言います。首輪につける鈴に、木で鼻をくくるの木と書いて、鈴木です。失礼ですが、どちらにお掛けですか? 戦場ヶ原? まるっきり憶えのない名前ですが」
 と、俺は根気強くとぼけ続けたが、しかし相手はむしろ呆《あき》れたかのように、
「そう。じゃあ鈴木でもいいわ」
 と言うのだった。
 妥協しやがった。
「私も戦場ヶ原じゃなく、千沼《せんしょう》ヶ原《はら》でいいわ」
 千沼ヶ原。
 誰だ。いやどこだ。
 確か東北の地名だ。観光事業系の詐欺を働いたときに、訪れたことがある。いい土地だった。いや、訪れてはいないかもしれないが。詐欺を働いてもいないかもしれない。
 いずれにせよ、その切り返しが、俺は気に入ってしまった。
 迂闊《うかつ》だった、話を聞いてしまった。
 いや、本当に節句働きが嫌だったら、携帯電話を電源から切り、へし折って、SIMカードを破壊した上で雑踏《ざっとう》の中に捨ててしまえばいいだけのことなのだから――そもそも電話に出たりしなければいいだけのことなのだから、そもそも俺は、最初から、仕事を引き受けるつもりで電話に出たのかもしれない。
 依頼人が誰であるかなど関係なく。
 予感めいたものに従って――などと、まるで予感していたような、彼女からの電話を待っていたような振りをしてみたりしてな。
「鈴木」
 と、言う。
 千沼ヶ原という知らない女は言う――誰だかわからないけれど、年齢的には、きっと、女というよりは女子なのだが。
「あなたに騙して欲しい人間がいるのよ。直接会って話したいんだけれど、どこに行けばいい? そもそも今あなた、どこにいるの?」
「沖縄」
 俺は即答した。
 なぜか即答した。
「沖縄の那覇《なは》市の喫茶店だ。喫茶店でモーニングを食べている」
 さっき、地球上のどこにいると思ってもらっても構わないというようなことを言ったが、あれは嘘だったということにしてもらいたい――俺は実は沖縄にいたのだ。
 日本が誇る観光地、沖縄である。
 なんて、そんなわけはなく、少なくとも、俺がその正月にいたのは沖縄だけはなかった。
 咄嗟《とっさ》に嘘をついてしまった。
 言ってなかったかもしれないが、俺は結構な頻度で嘘をつくのだ。
 職業病、というより、職業上の悪癖《あくへき》と言うべきかもしれない。質問に対しては、五割以上の確率で嘘を返してしまうのだ。
 バッターとしてならいい打率なのだが、詐欺師としては打ち過ぎか。
 しかしこのときは、その病や癖《くせ》の結果ではなく、策略を持っての嘘だったということにしておくとしよう。
 そうすれば千沼ヶ原とやらに対しても格好がつく。
 沖縄と言えば、電話の向こうの、恋人ができて改心したはずの怖い女も、案外|諦《あきら》めるかもしれないではないか。
 面倒臭い、という気持ちが、案外人の心を、一番折るものなのだ。
 折れろ折れろ。
 しかし、残念ながら俺の計算ずくの思惑は外れ、戦場ヶ原は、いや、千沼ヶ原は、
「わかった。沖縄ね。今すぐ行くわ。既《すで》にもう靴を履いたわ。そっちの空港についたら電話する」
 と、躊躇《ちゅうちょ》なく言い切った。
 近所の公園に遊びに行くかのような気安さで、あの女は沖縄まで来るつもりらしい。ひょっとすると正月旅行で那覇市近辺に来ているのかもしれないと疑ったが、しかし現在のあの娘の家庭環境は、そんなことができるほど裕福《ゆうふく》ではなかったはずである――それなのに。
 それなのに沖縄に行くという決断に対する迷いがまったくなかったのは、逆説的に、あの娘が今おかれている状況のヤバさを表しているように、俺には思えた。
 あの娘というのがどこの誰なのか、俺にはわからないということになっているが。
 俺が昔騙した一家の娘は確かに金がないが、そうだ、千沼ヶ原さんは、沖縄住まいの成金かもしれないじゃないか。
「携帯の電源は、ちゃんと入れておきなさいよ。もしも原因がただの圏外《けんがい》であろうとも、繋《つな》がらなかったらぶっ殺すから」
 剣呑《けんのん》な捨て台詞《ぜりふ》を吐いて、千沼ヶ原は電話を切った。
 正月の境内、数万人の人間がごった返す場所において、携帯電話の電波が繋がった奇跡に、俺は感謝しなければならないようだ。
 この世は奇跡でできている。
 概《おおむ》ね、どうでもいい奇跡で。
 いや、正確にいうと、その捨て台詞の前に、電話を切る前に、千招ヶ原は、更に何かを言ったようだった。
 何かを。
 俺の聞き違いでなければ、小声で付け加えるように口にされたその言葉は、
「よろしくお願いするわ」
 だったかもしれない。
 よろしくお願いする。
 よろしく。
 お願いする。
 あの娘が、恨《うら》み骨髄《こつずい》であるはずの俺に対してそんな言葉を吐くとは――にわかには信じられない。いや、だからあの娘というのがどの娘なのかはともかくとして、あいつが切羽詰《せっぱつま》っているのは確かのようだった。
 とにかく。
 俺はその日、自分のついたくだらない嘘のために、沖縄に行かなくてはならなくなってしまったのだった。